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小沢健二の軌跡を完全網羅する理由!流動体についての意味が判る時

 

小沢健二さんの復活劇が2017年を震撼させる大ニュースであることは間違いがないと感じている今日この頃。

 

どうも三女です。

 

今回はかなり真面目に語っていきたいと思うのですが、きっと今10代や20代の方々にしてみると、「小沢健二って一体何者なのか?」、「なぜそんなにカリスマ扱いをされているのか?」、「結局、他の歌手やシンガーソングライターと何が違って、すごいのか?」という率直な疑問にぶつかるんじゃないかと思うんです。

 

表面的な見解が一人歩きをしているように感じたのは、Twitterや2chでの投稿や書き込みで、小沢健二を90年代の星野源だとか、アイドル的人気があった歌手だとか表現をしてしまうことが多いんですね。

 

ただそれだけでは長い沈黙に耐えファンでい続けていた多くの人たちの気持ちは続いていないんじゃないかと感じました。

 

ということで今回は、「小沢健二さんとは一体何者なのか?」という、恐縮ながら25年来のファンである私が個人的に見てきたこと、感じたことを経歴プロフィールには載らない情報をもとに綴っていきたいと思います。

 

小沢健二さんの軌跡を完全網羅することで、オザケンの凄さを紐解くヒントになると幸いです。

 

また19年ぶりの最新シングル曲・新曲「流動体について」の歌詞の意味が判るとき、小沢健二さんの本質を理解できるような気がするので、こちらについても併せて紐解いてみたいと思います。

 

あっ、オザケンについて私が思っている本音を綴っていこうと思っています。

 

オザケンを25年間追いかけてきた一人のファンの「今のこんな気持ち!」を綴ってみました。

 

そのため普段よりもかなり長くお付き合い頂くことになりますので(ある光のフルバージョンを聞き終わるぐらい…)、どうぞよろしくお願い致しま〜すo(`ω´ )o

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★この記事の目次★

 

小沢健二さんの経歴プロフィールからwikiには載らない秘密に迫る!フリッパーズギター時代

 

 

 

 

今のおすすめBGMは、フリッパーズギターの「恋とマシンガン」をお供に♪( ´θ`)ノ

 

まず、一般的に知られている小沢健二さんのプロフィールを簡単に挙げると、同級生だった小山田圭吾くんと学生時代にバンドを結成、元フリッパーズギター、東大卒、米文学専攻、実家がお金持ち、両親が学者、叔父が小澤征爾、オザケンの愛称、ブギーバック、元カノが深津絵里や渡辺満里奈(本当かどうかは内緒みたいです)などなど…

 

小沢健二さんがテレビに出演をしまくり、新曲のリリースをされていた当時を知る世代であれば、HEY!HEY!HEY!でダウンタウンさんとのトークでその人柄や経歴が話題になっていましたね。

 

高学歴でボンボンのおぼっちゃまキャラが際立っていた当時ですが、女子たちの間では王子様キャラとして、理想の彼氏像だったんですね。

 

頭も良いし、共感する恋愛観。

 

その結果、ファッション雑誌「オリーブ」で元SMAPの木村拓哉よりも投票数を集め、彼氏にしたい芸能人1位になったほど。

 

ただ30代以上であれば知っているオザケンのキャラクターというのは、いわば作られたものという衝撃的な事実が今回の復活を機に明らかになりましたね。

 

スッキリやバズリズムなどの出演時に、当時は無理をしていた、続けるのは無理という本音を告白していました。

 

もともと小沢健二さんは高校時代に小山田圭吾さんに誘われてバンドを組み始めたことが、音楽活動をするきっかけだったんですよね。

 

そのまま大学に進学をし、在学中にフリッパーズギターとしてデビューをしたので、実は「子供の頃からミュージシャンになりたかったんだぁ!」という夢があった訳では無かったんですね。

 

あくまでも高校時代の同級生だった小山田圭吾さんと音楽の趣味が合って、その流れでバンドを組んでみて、その流れでメジャーデビューしてしまったというのが事実なんです。

 

となると、本来、小沢健二さんがやりたかったことであるアメリカ文学を学び研究するという学者肌だった本心は、一度、閉ざされてしまったということになるんです。

 

実は歌手になることを夢見ていた訳では無かった小沢健二が、トントン拍子でその才能が世間に受けて、気がつけば人気歌手として売れてしまっていたという訳なんですね。

 

この始まりを知ると、小沢健二さんがなぜ日本での音楽活動を突然休止し、雲隠れをしてしまったのか?、という疑問が解明された気がしますね。

 

実は一番やりたかったことが、当時、音楽では無かった…

 

もっと自分が興味のある、本当にしたいことがあった。

 

それが一貫して変わっていなかったということなんですね。

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小沢健二がソロデビューするまでの空白の期間とは?「暗闇から手を伸ばせ」の秘話

 

 

 

フリッパーズギター時代に3枚の名盤を残し解散をしましたが、この時代に小沢健二さんが生み出した楽曲って未だに人気があるし、作詞作曲をした「恋とマシンガン」はCMでも使用されているので、楽曲のクオリティーの高さにただただ関心するばかりです。

 

実はフリッパーズギターを解散した後、小沢健二さんは音楽活動で忙しかったため大学を休学していたんですね。

 

学業に専念をし東大を卒業したあと、ソロデビューを果たしますが、それまでの間、数年の空白の期間があるんです。

 

実はやさぐれ期のような経験をしていたそうで、夜な夜なクラブに足を運んでは音楽に酔いしれる毎日。

 

そんな時代を赤裸々に歌詞に綴ったのが、「暗闇から手を伸ばせ」という楽曲なんですね。

 

…ここからは、「犬キャラ」の「暗闇から手を伸ばせ」がBGMとしておすすめです♪( ´θ`)ノ

 

小沢健二さんのデビューシングル「天気読み」のカップリングとして収録をされましたが、なんと同じ曲が2ndシングルのA面としてもリリースしたんです。

 

カップリングで収録をされていたのに、同じ曲を次のシングルA面でリリース?

 

アラサーならご存知の「マジカル頭脳パワー」のエンディング曲として使用されていたことがシングルリリースの理由なのかもしれませんが、わざわざ前のシングル盤のカップリングに収録をした曲を、わざわざA面にして同じ曲を発売する。

 

それが許されたのって奇跡ですよね。

 

ただこの楽曲は、日比谷音楽堂でフリーライブとして開催をされたデビューイベントや最初のアルバムをリリースした時のコンサートツアー以降は、2度と演奏をされないタブー曲になってしまっているんですね。

 

小沢健二さんの楽曲を聴いていると、やはりキラキラサウンドがオザケン節という認知が多い中で、初期のブラックミュージックに傾倒した1stアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」のサウンドの評価ってかなり高いんです。

 

オザケンの楽曲のストリングスの編曲でもお馴染みの服部隆之さんが主催する音楽賞の第1回目の大賞受賞アルバムですからね。

 

1stアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」は、今となっては廃盤でアルバムタイトルが変更されて「dogs」になって再販をされていますが、モータウン色の強い楽曲が多いんですね。

 

もちろん、小沢健二さんが好きなスティーヴィー・ワンダーのテイストが感じられる「天気読み」などを聞くと、「ラブリー」のようなきらめき感はありませんね。

 

「天気読み」や「暗闇から手を伸ばせ」、「ローラースケートパーク」、「天使たちのシーン」など名曲が多く収録をされているアルバムは、硬派な音楽雑誌がこぞってロックアルバムの名盤と評価していますね。

 

この時期のオザケンはいわば、もがき生み出された曲の数々ということで、「ラブリー」以降、小沢健二さんの人気が出た直後には、何故か黒歴史と位置付けられた1枚目のアルバムの存在とフリッパーズギターについてはタブー扱いでした。

 

これがレコード会社の戦略なのか、小沢健二さんの意志なのかは未だに不明ですが…

 

明らかにソロデビュー当初の小沢健二さんがやりたかった音楽性と、世間に受けて売れた音楽性は違ったということだけは間違いがないような気がしますね。

 

幼い頃からモータウン系のブラックミュージックなどを好んで聴いていた小沢健二さんなので、幅広い音楽のジャンルを作りリリースしていました。

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名盤2ndアルバム「LIFE」と今夜はブギーバック以降のオザケン王子様になる!

 

 

 

そして3枚目のシングルで一躍人気歌手として名前が知れ渡るんです。

 

それがフリッパーズギター時代からの親友・スチャダラパーとの共作「今夜はブギーバック」です。

 

多くを説明する必要はないブギーバックですが、多くの歌手にカバーをされていますね。

 

ヒップホップを日本でメジャーなものとして浸透をさせたのが、何をかくそう小沢健二さんだったんです。

 

もちろんブギーバック以前もスチャダラパーがラップを日本に浸透させた功労者のひとりですが、やはりJ-POPSの歴史で語り継がれるのは「ブギーバック」が元祖ということみたいです。

 

ここからの小沢健二さんはノリに乗っていました。

 

ソロデビュー後の楽曲とは違った明るい楽曲を連発するんです。

 

なんかフリッパーズギターのころのような、ウキウキするような楽曲の数々。

 

小沢健二さんの快進撃となった2ndアルバム「LIFE」は日本の音楽シーンを変え、J−POPSという言葉を生み出した名盤なんですね。

 

2ndアルバムの発売に先駆けてリリースをされた3rdシングル「愛し愛されて生きるのさ」からの小沢健二さんは、もはや皆さんの知るオザケンに変身し、女子の視線は王子様になっていましたね。

 

そしてアイドル的人気を獲得した4枚目のシングルは「ラブリー」。

 

このシングルは資生堂のエッセンシャルシャンプーのCM曲として使用されたことがきっかけで、2ndアルバムからシングルカットをされました。

 

このタイミングでミュージックステーションやHEY!HEY!HEY!への初出場を果たします。

 

テレビや雑誌への露出が増え、ジャニーズのアイドル並みの人気を獲得しているなかで、「カローラⅡに乗って」のCM曲が大ヒットしましたね。

 

その後、「強い気持ち・強い愛」やドラマの主題歌「それはちょっと」、HEY!HEY!HEY!のエンディング曲「戦場のボーイズライフ」、森永ダースのCM曲「さよならなんて云えないよ」、ヒット曲「痛快ウキウキ通り」、ドラマ・将太の寿司の主題歌「ぼくらが旅に出る理由」、ワンカップ大関のCMソング「大人になれば」などなど。

 

一度は耳にしたことのある楽曲を次々にリリースし、期待されていた3枚目のアルバムが発売されることになったんです。

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幻の3rdアルバム「オザケン海へ行く」とは?

 

 

 

1996年8月31日。

 

当初の3rdアルバムの発売日は、前作「LIFE」と同じ日の発売だったんです。

 

が、直前で発売延期。

 

翌月の9月にリリースをされましたが、なんとファンにとってみたら度肝を抜いたアルバムだったんです。

 

実は2ndアルバム「LIFE」の直後、3枚目のアルバムについて当時、ロッキングオンジャパンのインタビューで2枚同時で発表する、という発言や、アルバムのテーマは「オザケン海へ行く」というようなものだったからです。

 

ここからファンの間では、「強い気持ち・強い愛」から「痛快ウキウキ通り」までのシングル曲が収録をされるミリオンセラー間違いなしの超名盤の誕生!!!と期待をされていましたが…

 

全部、ボツにしてしまったらしいんです。

 

その結果、発表されたのが、ピアノとウッドベース、ギターで構成をされたシングル曲「大人になれば」と3rdアルバム「球体の奏でる音楽」なんです。

 

以前、小沢健二さんがインタビューで「本質を維持するためには形は変えていかなければいけない」と語っていましたが、1st、2nd、3rdのアルバムの全ての毛色が違うので、まさに「これは意図的に違うジャンルの音楽を生み出しているんだぁ」と単純に感じていたんです。

 

でも本当は違うんじゃないかと感じてきたんです。

 

もともと文学をやりたかった小沢健二さんなので、例えばアルバムを長編小説だと置き換えて考えてみると、作家さんは果たして同じような設定、同じような登場人物、同じようなジャンルの小説を書きたがるのか?

 

そういう疑問が浮かんだんですね。

 

私的には、「同じものを書いていても面白くないし、作家さんは発表したがらないんじゃないか?」

 

とも考えたんです(シリーズ物とかは別ですが…)。

 

この仮説から感じたことは、小沢健二さんはミュージシャンというよりも作家さん寄りの才能の持ち主なので、きっと自分の生み出す作品が同じものだと嫌だったんじゃないかなぁ、と思うんです。

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「ある光」でオザケンが別れを告げた真相と発売中止になった4枚目のアルバム!

 

 

 

それが確信となったのが、大人になればなどのジャズアルバムをリリースした直後のシングルでした。

 

ヒップホップや80年代のサウンド色が強い1997年代の小沢健二さんのリリースをした「Buddy/恋しくて」や「指さえも/ダイスを転がせ」などの楽曲からは、のちに本人も告白をしていますが「色々と試して試行錯誤していた」そうなんですね。

 

ここからオザケンが音楽活動を休止するモードに突入をしてしまうんです。

 

1997年「指さえも/ダイスを転がせ」のシングルをリリースした直後、待望の4枚目のアルバムの製作が始まり本人もテレビのインタビューで「スピリチャルで、熱いカタマリのようなアルバムになる」と発言をしていました。

 

この4枚目のアルバムこそが、発売されることなく消えてしまった幻のアルバムなんです。

 

当時、発表をされていた4枚目のアルバム収録曲には、スチャダラのシンコプロデュースの楽曲や、まだアルバム未収録だったシングル曲が盛りだくさん収録をされる予定だったんです。

 

詳細として新録の「戦場のボーイズライフ」や「痛快ウキウキ通り」、「流れ星ビバップ」、「強い気持ち・強い愛」、「さよならなんて云えないよ」、「Buddy」、「恋しくて」が収録をされる予定でした。

 

が、アルバムの発売日が2度延期される事態に。

 

そんななか、4枚目のアルバムの発売日に合わせて最新シングル「ある光」がリリースされましたが、この時点でニューアルバムの発売日は延期されたまま。

 

この時にリリースをされたシングル「ある光」は、まさにオザケンファンにとって神曲になっていますね。

 

ただ小沢健二の活動休止に向かいカウントダウンが始まってしまった決定打なんです。

 

翌年1998年1月にラストシングル「春にして君を想う」が発売され、アルバムは発売中止となったんです。

 

日本での型にはめられた音楽業界のシステム、作り上げられてしまい消費される人物像など、置かれている環境に耐えきれなくなった小沢健二さんは無茶を承知でアメリカに渡ったそうです。

 

思い悩んでいた心境が綴られた本音は、やはり「ある光」のなかに込められていたんですね。

 

小沢健二さんが突如消えてしまった理由を、ファンは「ある光」からどうにかして読み解こうと考えているうちに、楽曲の歌詞の意味自体が、自分にも向けられているようなメッセージに聞こえてきたんです。

 

小沢健二さんの描く歌詞は、まさに小説です。

 

歌詞の意味は、その時の気持ちで捉え方が変化する普遍的なものになっていますね。

 

聞く時の心境によって感じ方が変わるように巧妙に散りばめられた言葉が、ファンたちの心の支えになったんです。

 

だからこそ、神曲と言われているんじゃないかと感じます。

 

また、19年もの間、待つことが出来たんですね。

 

小沢健二さんの「戦場のボーイズライフ」というシングル曲の歌詞に、「胸の奥にそっとロザリオ、隠してみんな歩く」という一節がありますが、まさにオザケンファンは長い間、沈黙に耐え、胸のなかにロザリオをそっと大切に持ち続けていたんです。

 

最近、星野源さんと小沢健二さんの類似性についてTwitterなどでちらほらツイートなどを見かけますが、やはり全然違うなぁ、と感じてしまうのが本音ですね。

 

今となっては、でんぱ組.incが「強い気持ち・強い愛」をカバーし、ポカリのCMで「さよならなんて云えないよ」が流れていますね。

 

きっと胸のなかでロザリオをそっと隠して歩いてきた世代が、当時歌詞やメロディーによって救われた思いを次世代に繋げるために、小沢健二さんの楽曲の炎を灯し続けた結果なのではないかと思います。

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小沢健二がアメリカに拠点を移してから発表された3枚のアルバムとエリザベス・コールとの出会い

 

 

 

オザケンを脱ぎ捨てた小沢健二さんが日本の音楽シーンから姿を消したのが、1998年でした。

 

その後、モータウンと契約をしたことがスポーツ新聞に掲載されていましたが、モータウンレコードからの新曲の発売などはありませんでした。

 

唯一、モータウンのマービンゲイトリビュートの日本限定収録曲として、カバー曲を歌ったものが収録をされましたが、その後、再び音沙汰なしでしたね。

 

アメリカに拠点を移した小沢健二さんは、R&Bに傾倒した4ttアルバム「Eclectic(エクレクティック)」を発表します。

 

 

「麝香」や「愛について」、「一つの魔法」、「今夜はブギーバック/あの大きな心」など名曲が多く収録されていますが、日本での認知はほとんど低く、あの頃のオザケンサウンドと比べると全く違うものとして捉えられていました。

 

この時私は、もう2度と新しいアルバムなんて出ないんだろうなぁ、と諦めていたので、すごく嬉しかった思いでした。

 

でも小沢健二のファンとしては、やっぱりキラキラサウンドを期待してしまいますね。

 

1stのようなテイストが感じられたので、「痛快ウキウキ通りの頃の小沢健二はもういないんだなぁ」、と少しショックも受けたことは今でも覚えています。

 

でも今思うと、エクレクティックも2ndアルバムのLIFEからの延長線上にあるんだなぁ、と感じられるようになりました。

 

そんな矢先に、まさかのリリース情報が!

 

それが5枚目のアルバムです。

 

なんと今までのアルバム未収録曲で構成をされたニューアルバムなんです。

 

毎回恒例のようにほぼ一年発売が延期になりましたが、ベストアルバム的ポジションの「刹那」がリリースをされるんですね。

 

5枚目のアルバム「刹那」には、「強い気持ち・強い愛/それはちょっと」から「痛快ウキウキ通り/流れ星ビバップ」、「夢が夢なら」までのシングルが収録をされており、あの頃のヒット曲が一気に詰まったアルバムなんです。

 

 

ただ、アルバムのタイトルが「刹那」ということで、やはり小沢健二さんにとってみると、「自分が消費され無理のあった時期で生み出した名曲たちなんだなぁ」、と思いました。

 

でもね、そんな時期に生み出された楽曲こそが、未だに愛され、カバーし続けられている名曲たちなので、「あの頃のオザケンは間違っていなかったんだなぁ〜」と感じています。

 

その後は、しばらくの雲隠れ期間になるのですが、なんとこの時期から小沢健二さんのお父さんが編集長を務める「子どもと昔話」という季刊誌に風刺的童話小説を連載し始めたり、全曲インストだけのアルバム「毎日の環境学」をリリースするんですね。

 

 

この頃に現在の妻・嫁であるエリザベスコールさんと出会うわけですが、私的には「フォトグラファーに惹かれるんだなぁ〜」なんてニヤリとしてみたり…

 

オザケンと交際をしていたんじゃないかと怪しまれる世界的フォトグラファーのHIROMIXさんとの噂があるので…

 

小沢健二さん自身もアウトプットよりもインプットをすることが好きで刺激を求め、一度は日本の音楽業界の線路を降りた訳ですが、そんな小沢健二の好奇心を鷲掴みした表現方法が「写真」だったのではないかと感じます。

 

自分の感性を表現する方法。

 

小沢健二さんは小説やエッセイというスタイルで本当は表現したかったんじゃないのか?

 

それをする前に音楽での表現がウケてしまい、評判が良いからみんなの声に応えてミュージシャンとしてアウトプットを続けていたんじゃないか?

 

また、小沢健二さんの楽曲の歌詞は短編小説のように書いている…

 

本人の発言から分析をしてみると、やはり小沢健二さんは音楽の人と言うよりも、「文学の人なんだなぁ〜」、と確信が持てるようになったんです。

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小沢健二が影響を与えたファッションと文学界!ファンの著名人とは?

 

 

 

でもこれほどまでに多くのミュージシャンや著名人に影響を与えるのって、他にはいない感じがします。

 

一体何がそれほどまでに魅力的なのか?

 

他のミュージシャンと何が違うのか?

 

特別扱いをされる本当の理由とは?

 

すごいすごいと口を揃えて言うけど、実際に何がすごいのか?

 

現在、10代や20代の方々にしてみれば、そう感じますよね?

 

小沢健二さんが音楽というジャンル以外に、90年代のカルチャーシーンに影響を与えた隠された秘密について紐解いてみたいと思います。

 

まず、小沢健二さんが影響を与えた分野として、ファッションは外せないポイントですね。

 

遡ること1989年。

 

まだ小沢健二さんがフリッパーズギターの時代から、ファッションアイコンとしてカリスマ的ポジションでした。

 

フリッパーズギターが流行らせたファッションアイテムといえば、マリンルック、ベレー帽などですね。

 

当時人気のファッション誌「オリーブ」で特集が組まれていましたね。

 

さらにソロデビュー後、2ndアルバム「LIFE」期には、王子様キャラとしてアイドル的存在になっていました。

 

彼女のことを「子猫ちゃん」と呼ぶ発言や、ボーダースタイル、アニエスベー、ダッフルコート、プラダの靴などが爆発的にファッションアイコンとしてオザケンによって浸透しましたね。

 

その後、海外の高級自転車、フリスビー、スリッポンなどなど…

 

渋谷系を超越して一時代を築いた小沢健二さんの功績はファッション業界でも語り継がれているため、未だに特別な存在としてデザイナーたちのオザケン愛は当時と変わらないままなんですね。

 

ファッションシーンでの影響と同時に、歌詞の文学性の高さも話題になっていました。

 

有名な話ですが、タモリさんや作家のよしものばななさん、村上春樹さんが小沢健二さんの大ファンということで、数々の著名人がそう言っている理由のほとんどが、小沢健二さんのえがく歌詞の世界観なんです。

 

小沢健二さんの歌詞は小説でいうところの行間を読ませる「純文学のような歌詞」なんじゃないかと私は感じています。

 

その上、哲学的要素がかなり加わっているんです。

 

例えば人生観や死生観などが自然と歌詞のなかに溶け込んでいるので、見事な文才だと評価をされているんですね。

 

また歌詞だけではなく、メロディーラインやサンプリングの才能もずば抜けているんです。

 

「小沢健二さんの歌詞とメロディーを糧にして今まで生きてきた」というファンが、今現在も多く存在することがなんとなく判ったような気がしますね。

 

廃れない音楽という認識よりも、小沢健二さんの描く歌詞の言葉の力と、その言葉を体に、心に、頭に浸透させる美しいメロディーによって、ファンは生きる気力を貰っていたんじゃないかと感じました。

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流動体についての感想

 

 

 

沈黙を破り19年ぶりに発表をされた最新シングル曲「流動体について」には、今までの歩んできた答えが詰まっているような気がします。

 

19年前、ある光で綴っていた「JFKを追ってアメリカに旅立ったオザケン」が、2017年に小沢健二として羽田沖に降り立つ。

 

お嫁さんのエリザベスコールと供に世界を旅したのは、オザケンではなく「小沢健二」としての自分。

 

その結果、あの頃に線路から降りた自分の苦悩や悩みは消え、ファンの熱い信頼を確信し再出発を知らせた小沢健二さん。

 

そう考えると、オザケンファンでい続けた一人一人の皆さんが、小沢健二さんを復活させたということになるんですね。

 

小沢健二さんも「流動体については、みんなから貰った曲です」と言い切っていたので、ファンの皆さんが心に隠したロザリオを大切に守っていたおかげなんじゃないかと思いました。

 

そんな復活後となるシングル曲「流動体について」ですが、かなり評判が良いですね。

 

オザケン節が炸裂しています。

 

歌詞もさることながら、メロディーは小沢健二さん自身もインタビューで語っていたそうなんですが、変態的なメロディーラインなんです。

 

サビがドレミファソラシドの音階を駆け上がり、声が裏返り…

 

でもね…

 

これが皆さんの知っている小沢健二が作る曲なんですよねぇo(`ω´ )o

 

聞けば聞くほど、癖になる。

 

聞けば聞くほど、「ある光」と並ぶ名曲だと気がつく。

 

歌詞カードを読みながら、物語の映像が浮かぶたびに、思わずドキッとする。

 

オザケンの楽曲って、こうだったんだよなぁ〜

 

スッキリに出演をした際に、「居酒屋で歌うような曲」と言っていましたが、まさに人生について歌っている曲なんですね。

 

演歌的な要素はありませんが、お酒を飲み交わし、自分を見つめあうときに歌う歌のような感じです。

 

なのに哀愁を感じないのは、オザケンマジックなんですよね!

 

「さよならなんて云えないよ」もそうなのですが、歌詞の内容は恋人の別れの曲なのに、ポップなメロディーによってその事実がうまく包み隠されているんです。

 

そして曲のイメージとして、綺麗な部分だけが残るという不思議な感覚。

 

以前小沢健二さんがシャンソンに喩えていたことを思い出しました。

 

シャンソンも辛く厳しい人生についての歌詞を、ポップなメロディーで包み隠すそうです。

 

そういえば、流れ星ビバップの歌詞のなかで「激しい心を捉える言葉をロックンロールのなかに隠した」という一節がありますね。

 

もしかすると、この時から小沢健二さんは自分自身の弾けるような音楽以外の好奇心を、ぐっと押さえ込んでいたのかもしれません。

 

一見ラブソングに聞こえる小沢健二さんの楽曲ですが、なんと小沢健二さん自身は「ラブソングを書いているつもりはなくて…」とインタビューで答えていたんですね。

 

その時、「この曲を聴いて、こういう気持ちになってくれたらいいなぁ…」という本質的な部分を音楽で表現していると語っていました。

 

これってやっぱり文学の作家さんタイプの発想ですね。

 

その時その時の感情を言葉にしてしまうと、辻褄が合わなくなるのが人間の本質。

 

幻となった3枚目の「オザケン海へ行く」のアルバムの発売案も、その後の発売中止も、なんだか自分の気持ちに素直に従ったまでなんじゃないかと…。

 

未だにオザケンはフリッパーズ時代を封印しようとしている気がするので…(フリッパーズの1stのアルバムタイトルが「海へ行くつもりじゃなかった」のに対し、ソロのアルバムタイトル案が「オザケン海へ行く」な上、今回発表をされたフジロックの出演情報と同時にフリッパーズの再結成なんて暇がないから有り得ないと自ら言い切るあたりがカッコイイ!)

 

自分の気持ちに耳を傾けた結果の渡米だったり、19年ぶりの復活だったり。

 

一部では「オザケンに振り回されっぱなし!」という声が挙がっていますが、昔からのファンなら、今までのアルバムの発売延期や中止。

 

なかなかアルバムに収録されない廃盤のシングル曲たち。

 

もっと遡るとフリッパーズのコンサートツアー中に解散発表でチケット返金などなど…

 

撮影カメラが入ったレヴュー96の横浜アリーナでのライブやジャズトリオで演奏されたコンサートの映像作品って、あと何十年待てばソフト化されるのかなぁ…?

 

東京の街で奏でるで披露予定だった新曲「魔界」は…?

 

コアなファンなら首を長くして待っている「甘夏組曲」の音源化は絶望的?

 

思い返すと、それこそ今に始まった話じゃないんですねo(`ω´ )o

 

でも、19年の時間を掛けて「忘れてた過ちが大人になり口を開ける時、探すことにしよう、もう子供じゃないならね」という歌詞の通りになったという訳ですかねぇ〜(私の勝手な解釈ですが…)

 

ここまで小沢健二さんについて綴ってきましたが、そう簡単に理解出来たりするほど簡単じゃないんですね。

 

だからこそ未だに魅力的なんですね。

 

オザケンファンが小沢健二さんが伝えたかった本質などを理解出来るときって、本当に音楽活動を辞める時なのかもしれません。

 

でも人生を全面的に肯定する文学的な歌詞を伝える小沢健二さんが、音楽活動を完全に辞めるようなことは絶対に無いって言い切れるのは、ファンのみなさんなら解ってもらえると思います。

 

本質を伝えるためには形にこだわらない。

 

むしろ本質を守り維持するためには形を変える勇気を持たなければいけない。

 

小沢健二さんの言う「本質」って、自分自身の素直な感情なんじゃないかと思うんです。

 

それは大きな人生観でも恋愛でも仕事でも言えることで、今回発表された新曲「流動体について」はまさに、小沢健二さんがシンガーソングライターとして伝えたかったことの本質なのではないかと感じます。

 

私の感じている小沢健二さんについての意見をボリューミーに綴りました。

 

実はそうした理由に、小沢健二さんの言う「この曲を聴いた人が、こんな気持ちになればいいなぁ〜」というアンサー的な感想なんです。

 

オザケンを25年間追いかけてきた一人のファンの「今のこんな気持ち!」を綴ってみました。

 

小沢健二の軌跡を完全網羅する理由は、流動体についての意味を少しだけ嚙み砕いて自分のものにするための手段でした。

 

本当の意味で流動体についての本質を理解するためには、まだまだ人生経験や勉強が必要な気がします。

 

ということで最後までご覧いただきありがとうございました。

 

心から感謝します♪( ´θ`)ノ

 

★オザケンについての関連記事はこちら↓

小沢健二の流動体についての歌詞の意味をひふみよから考察してみた

小沢健二AMA私の並行世界の内容のまとめ!新譜の新曲発売日情報

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