みんな大好きムーミンに都市伝説が存在することをご存知でしょうか?
つい最近、ムーミンの原作者トーべ・ヤンソンが生まれて100周年を迎え、まさにムーミンイヤーになっていた時のことを鮮明に覚えています。
その時は記念作品として初の長編アニメ映画『劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス』が公開されましたね。
さらに全国各地で『ムーミン展』などが開かれ、ムーミン人気を改めて実感しました。
そんなムーミンにまさかの裏設定や都市伝説が存在するとの情報が!!
これは見過ごすことができませんね…
今回はそんなムーミンについて噂される都市伝説や裏設定の真相や、ムーミンがどのようにして生まれたのか?という驚くべき作者・トーベヤンソンの創作秘話やムーミンシリーズが完結した衝撃の理由ついてご紹介をしていきたいと思います。
★この記事の目次★
ムーミンに都市伝説や裏設定が存在するって本当か?嘘か?
実は愛すべきムーミンにも、作者・トーベヤンソンの心の闇が投影されていたのではないかと囁かれているんです。
ムーミンを見ていると、何もストレスのない平和な世界が描かれている雰囲気はありますが…
ムーミンが暮らす場所のムーミン谷やキャラクターたちには一癖も二癖もあるそうです。
まず、裏設定と噂をされているのが、主人公のムーミンについてです。
カバのようですが、カバではなく妖精ということになっているんですが、実はこのムーミントロールたちの本来の姿は違って核戦争の影響で生まれた以上変異の生物だったんです。
またミイもその影響で小人症になったという裏設定があるそうなんですね。
さらにスナフキンは唯一人間で生き残った人物で元軍人と言われているそうなんです。
そんなムーミンたちが暮らす場所は、世界で唯一核戦争から免れた場所ということになりますね。
ムーミンは世界が滅亡した後の世界という設定みたいなんですが…
これは原作本を読んでもその可能性が非常に高いということが確認できました。
ムーミンが生まれた創作秘話!
そんなムーミンが誕生をしたきっかけをご存知でしょうか?
実は意外なことがきっかけでムーミンが誕生をしたんです。
愛らしいムーミンですが、作者のトーべ・ヤンソンは、ムーミンを生み出したときのきっかけは、悔しさや憎らしさから生まれたものだったんです!
詳しく作者のトーべ・ヤンソンの子供時代に時間を遡ってみましょう。
作者のトーべ・ヤンソンがムーミンの第1号を描いたのが、なんと若干10歳のときだったと言います。
次弟のペル・ウーロフ・ヤンソンとの口げんかが、ムーミン誕生の瞬間でした!
口げんかに負けたトーべが、トイレに閉じこもり、喧嘩の悔しさからトイレの壁に『スノーク』という絵を描きました。
この『スノーク』とう絵は、訳すととても醜い生き物で、ムーミンの原型になった絵だったんです。
この絵を描いた理由として、事前に叔父さんの家に下宿をして学校に通っていた時代に、夜中冷蔵庫から食べ物をこっそり食べていたのが叔父さんに見つかった時のことです。
叔父さんからトーべは注意を受けたんです。
それは、『冷蔵庫の裏にはムゥーミントロールというおばけがいるから、こっそりとつまみ食いをしてはいけない。首筋に冷たい息を吹きかけられるぞ!』と言われたことがきっかけでした。
トロールとは、北欧のおとぎ話で出てくる生き物です。
人間にいたずらなどをしてくるので、トーべのつまみ食いを止めさせるために叔父さんが作った作り話を聞いてからというもの、トーべはえらくそのジョークが気にいつたみたいで想像力を膨らませ、トロールの物語を考えるようになったといいます。
ムーミン一家のモデルは作者のトーべの家族がモデル
まだ幼かったトーべですが、想像力は家族の中で一番あり、空速の天才だと兄弟からは言われていました。
トーべはフィンランドで生まれ育ちました。
フィンランドといえばキシリトールですが、それよりも前からずっと文化として根付いている北欧家具や北欧雑貨などカラフルな色彩のインテリア雑貨発祥の地です。
フィンランドの日照時間は非常に一年を通して短いため、室内で過ごす時間が多いフィンランド人の気持ちを明るくするためのデザインとして、カラフルなものが多いことが特徴です。
トーべの家族構成は、お父さんは彫刻家で、お母さんは画家という美術系家族のもとに生まれたんです。
優しいお母さんと冒険好きのお父さん。
「あれ?」と気づいた方はムーミン通ですね。
そうなんです、ムーミン一家のモデルはトーべの実の家族だったんです。
二人の弟たちと楽しく遊んだ多くの思い出がムーミンのお話の基盤となっていると語っています。
トーべはお母さんが画家だったため、小さい頃から画家になる夢を抱いていたそうです。
なんと初めて雑誌の挿絵を描き画家デビューをしたのが、13歳のときだったんです。
16歳から3年間美術を学校で習ったそうです。
その後、フィンランド芸術大学で学びながら雑誌の表紙のイラストを描いたり、展示会に絵画を出展をしたりと活動をしていました。
トーべの絵画はかなり売れていたと言います。
ムーミンは最初、耳もしっぽも無かった!
ムーミンの原型となるトロールを描いた第1号は、10歳の時の弟との口げんかの時ですが、正式なムーミンとして描いたのは、それから10年後の20歳の時でした。
トーべが描いた水彩画「黒いムーミントロール」という絵でムーミンが登場をしています。
実はこの当時描かれていたムーミンは、現在のムーミンとは全く異なる姿をしていたんです。
その水彩画には、赤い目をした恐ろしい妖怪のような姿をしていました。
ムーミントロールの名前も「スノーク」となっていて、トーべ自身もまだムーミンのことを醜い生き物として描いていました。
現在の愛らしいムーミンになったのは、1948年頃で、耳やシッポがしっかりと付いたムーミンが登場していました。
トーべは、弟のラルスと一緒にフィンランド湾に浮かぶクルーブハル島で夏から秋にかけて過ごしました。
この地でムーミンの童話を描いたんです。
ムーミン完結の真相!
小説ムーミンシリーズの記念すべき第1作は「小さなトロールと大きな洪水」というタイトルで、ムーミンという表現は出てこないんです。
シリーズ2作目以降からは「ムーミン谷の彗星」といったようなタイトルになります。
全部でムーミンシリーズは9作品あります。
トーべの大好きなお母さんが亡くなった年に「ムーミン谷の11 月」という作品を描きました。
この作品にはムーミンママが登場をしません、そしてこの作品を最後にムーミンシリーズは完結となりました。
トーべは31歳の時から57歳の間、人生の大半をムーミンの童話執筆に人生を費やしました。
記念すべき初の劇場版ムーミンとは?
そんなムーミンの生みの親トーべ・ヤンソンが誕生をして100周年。
初めての劇場アニメ映画『ムーミン 南の島で楽しいバカンス』は、ムーミン一家がムーミン谷を抜け出して南の島へとバカンスにやってくるお話です。
フローレンとムーミンパパが貴族の豪華で贅沢な生活の虜になってしまい、そんな二人に腹を立てたムーミンママが宿泊のホテルから飛び出してしまうというお話です。
なんだかムーミン誕生時のトーべたち家族の光景のようですね〜。
現在はDVDとブルーレイで発売されているので要チェックです!
と言うことで、ムーミンに関するあまり知られていない裏設定についてご紹介をいたしました!
最後までご覧いただきありがとうございました!
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